わかる、ということ

ここでいっている「わかる」、というのは「できる」と近い文脈で使われるものである。 具体的には「私はC言語がわかる」や「私はJavaができる」というものである。 どの程度わかれば、「わかる」と言えるのか、またどの程度できれば「できる」と 言えるのか。どの程度、というのは定量的に表せるものではないと思う。 すなわち、「多少わかる」や「結構できる」や「チョットデキル」はそういう意味で 不適である(最後のはネタだが)。では、どうなれば「わかる」と言えるのか?

考えた結論としては、「どこまで理解しているか(いないか)を知っている状態」が「わかる」である。 仕方なく「理解」という言葉を使ったが、この言葉はとりあえずここでは自分の言葉で概要を説明できる、ということにする。 物事は小さく分解すると、”深さ"が異なる、表面的な性質や本質的な性質に分けられる。 応用は基本の上に積み上がっていく、という極めて普遍的な事実にも帰着する。

つまり、わかるためには、その物事がどのようなスタックになっているかを把握することが 第一歩である。その上で、最も基本的なレイヤーから理解する。そうすれば、「私はどのレイヤーまで わかる」と言うことができ、その状況は他者に共有しやすいのではないか。

この文章を書いた背景は一応あって、次の事象を言語化したかったということである。 これはなんとなくみなさんが気付いていることだと思うが、 自分よりその物事をわかるであろう人(つまるところ自分よりレベルが上な人) が、自分はまだまだ全然わからないです、と言うのだ。 多少は謙遜もあるかもしれないが、それは本気で言っているのだ。 これは見えている世界が違うのだと思う。 見えている世界というのが、上で説明したレイヤーに該当する。